看護と寄り添い

2022.8.28 記入者:大岩(サービス管理責任者)

 

ホームページの<お知らせ>でも公表しているとおり、事業所内で新型コロナウイルスの感染が発生し、みなさまに多大なるご心配をおかけしています。

 

現状として、さいごにご利用者の新型コロナウイルスの感染が認められた8/18以降、現時点ではご利用者における新規感染の発生はありません。かつ、療養されていたご利用者のみなさんは順調に体調を戻され、本日をもって、感染したご利用者全員の療養期間が終了となりました。感染が認められた職員も一人またひとりと復帰をし、皆でおかえりなさいと声をかけ合う姿がみられます。

 

今回は職員もふくめた感染拡大を目の当たりにし、ウイルスの強い感染力をあらためて実感することとなりました。対応にあたっては昨年のクラスター発生時に応援派遣で来ていただいたDMATの医師からの助言を踏まえ、感染者の隔離対応ならびに健康観察、感染者が発生したフロアの感染拡大予防対応等、職員一同で協力し合いながら可能なかぎり迅速に対応にあたりました。フロアを越えた同時多発的な感染発生には至らず、特定のフロア以外への感染拡大を防ぐことができたことが幸いでした。それはもとより、ご利用者のみなさんのご協力、感染者が発生したフロア対応をする職員と感染者が発生していないフロア対応をする職員それぞれの尽力によるものだとおもいます。

 

一日があっという間で、日の暮れるまえのひとときは殊更にうつくしくみえました。

  

新型コロナウイルスの感染が認められたご利用者については、療養期間中、体温・血圧・脈拍・サチュレーション(SpO2)の測定、水分と食事摂取・排せつ状況の確認、咽頭痛や咳その他の症状の有無といった健康観察をおこないました。職種間・嘱託医・保健所と情報の共有にもつとめ、感染リスクが高い区域となる場所はレッドゾーンとし、フェイスシールド・サージカルマスク・ディスポガウン・プラスチックグローブといった防護具着用のもと介助にあたりました。エアコンが充分に効いている涼しい場においても、防護服を着ているとものの数分で体からじわじわと汗が噴き出します。首筋には汗が照り、防護具を脱ぐころには長く浸かりすぎたお風呂上がりのように指のはらには皺が寄りました。職員が一人またひとりと感染し明日の勤務体制もままならず、業務の一部縮小もやむを得ずすったもんだとする場面も多々ありながら、職員同士でわずかな楽しい出来事をシェアしたときには自然と表情がゆるみました。

 

ご利用者とのかかわりにおいてもおなじで、たとえばご利用者のOさんは罹患後しばらくは発熱し体調がすぐれず掠れた声で話されていましたが、次第に体調がととのい「TVが映らないから直してよ~」といったいつもの会話が戻り、「たおちゃん、ありがとね」と笑顔を向けられたときには救われる思いがしました。(筆者の下の名前が「大緒(たお)」なので、Oさんからはときどき「たおちゃん」と呼ばれます)そんな風に、ご利用者一人ひとりとのやりとりの中で心和む場面がしばしばありました。

 

 

医療機関の逼迫もあり、ご利用者の入院療養が叶わないなかでは通常の生活支援にくわえ、およそ看護にちかい役割もそれぞれが担いました。それは医療行為を除いた、いのちとこころに添うことを基盤としたケアでした。「看護という職業は,医者よりもはるかに古く,はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで,看護だけはできるのだ」──そして今月初めに逝去された精神科医の中井久夫氏のこの言葉をあらためて思い起こすこととなりました。文字通り汗水を流しながら声を掛け合い、余裕がないなかでも、つとめて真摯に目の前の状況とご利用者に接する職員の姿があったからです。それは看護であり、包容であり、寄り添いの実践でもありました。

 

感染が発生していないフロアでも同様でした。感染対策を踏まえつつも、普段と変わらない生活と楽しみがありました。おもむろにはじまったフロアでのスイカ割り、風のラジオ便の第二弾、いつもの屈託のないおしゃべり──日常が決してとまらない中で、ご利用者にとってシンプルに「楽しい!」があり笑顔があったことは、気持ちの拠り所にもなることでした。

 

ようやく活動日記を綴るゆとりもできはじめたので、またすこしずつでも、ご利用者のみなさんの元気な姿や暮らしのようすを発信していければなとおもいます。

 

 

 

 

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