2022.7.26 記入者:大岩(サービス管理責任者)
机に向かい、輪郭だけ描かれた図形や模様のなかに、色を落とす。クレヨンや色鉛筆の先端はこまかく星のように砕け散り、その小さな一片一片は紙の地上にくだり、ご利用者の指先や指のはらには色彩のしるしが残ります。
目黒恵風寮の日中活動では「塗り絵」を好んで選び集中してとりくむご利用者の姿があり、画材をつかい、図柄にきっちりと沿って塗る方もいれば、模様などにこだわらず自由にのびのびと色を塗りこむ方もいます。
ご利用者のTさんは日ごろ、受け答えや発語がみられません。だれかと交流するときにわたしたちにとって当たり前となっている会話によるコミュニケーションの形をとることもありません。しかし普段から身近に接していると、いつもとはちがった雰囲気や表情、仕草の繊細なちがいからご本人の状態やきもちを想像でき、理解につなげることができます。
そんなTさんは塗り絵において、小さく削れきったクレヨンを親指と人差し指でつまみ、こまかく手を揺りうごかしながら、無造作に紙面に色を落としていきます。無心ともおもえるその姿には素朴さがあります。その素朴性は一言であらわすならばまさしく「朴に復る*」(荘子)ことであり、ものづくりの職人の姿のように映ります。
*「雕琢して朴に復る」…芸術や芸事などにおいて、はじめは細工をほどこしたり磨いたりするなどいろいろ手を加えるものだが、結局さいごは何も手を加え意ぬ飾らない姿、「素朴な姿」に立ち戻る(回帰する)ものであるという意。
ひとつのモノ・コトに眼と心を向ける態度とまなざし、一点の素心をもって向き合う姿勢には美しさが宿り、ふとその姿に触れるとき、そこから気品や誠実さをわたしたちはふたたび発見し学びとることができます。
なにげない風景の中にいつもとはすこしちがった横顔をみること、もしかしたらご家族すらも知らなかったかもしれないきらりと光る一面をみること。
それはご利用者に一縷の光をあてたり見い出すといったことではなく、その人自身が光そのものであることに気づくことでもありました。だからこそ、一人ひとりの自発性や即興性、スタッフも含めたその人がもっている持ち味を活かせる場所づくりをどうしたら皆でつくりあげていけるかを考えていきたいなとあらためて感じました。
そんな思いを胸に、さいごに1979年に発刊された宮本正清の詩集『生命の歌』よりひとつの詩句を引き、「生活」に敢えてふられたルビの意味を考えつつ、今日の結びとしたいとおもいます。